2009年に発見された「曹操の遺骨と墓」本物と断定

 

中国河南省安陽にある、2009年に発見された「魏(ぎ)の曹操(そうそう)」の墓ではないかとされる遺跡について、河南省文物考古研究院が本物の曹操の墓であり、また遺骨も曹操本人のものであると見てほぼ間違いない、と発表したという。香港Business Solutionが報じた。

曹操は史書『三国志』や、ずっと後世に書かれた歴史文学作品『三国志演義』などの登場人物として、日本ではつとに著名である。

姓は曹、名は操、字(あざな)は孟徳(もうとく)。155年生まれ220年没。厳密に建前上のことを言えば後漢王朝末期の政治家であるのだが、実態としては彼が権力を握った時代には後漢の政権は形骸と化しており、事実上は後漢の継承王朝となった魏の建国者であるとみなされている。名目上の魏の初代皇帝は、曹操の息子のひとりにあたる曹丕である。

曹操は優れた軍人かつ政治家であったが、同時に文人としても多くの優れた業績を残した。特に名高いのは『孫子』の編纂事業である。

後漢の末、曹操は衰退した洛陽・長安に変わる実質的な新しい首都としてギョウ(業におおざと)を築いた。ギョウは現在の河北省邯鄲と、そして河南省安陽市にまたがる一帯にあった。

ギョウの遺跡そのものは河北省で発見されている。古くから調査は行われていたが、大規模な発掘が行われたのは1983年のことだ。

ところで史書『三国志』の語るところによると曹操は「自分の墓などに手間や金をかけなくていい、簡単に済ませるように」と遺言したとのことである。それで実際に後継者の曹丕が曹操の墓をどうしたのかについてまでは記録が残っていなかったのだが、話を総合するとどうやら、結局のところは相当に立派な規模の墓が曹操のために築かれたもののようである。

なお、墓に埋葬されていたのは曹操だけではなく、おそらくは曹丕の母と思われる女性、そして曹操の長男である曹昂を産んで若くして亡くなった女性ではないかと見られる二人の女性の骨もともに発見されている。

ちなみに、日本で同時代の人物としては有名な女王卑弥呼がいる。卑弥呼は247年もしくは248年に亡くなったとされている。それよりもなお古い曹操の遺骨が真正のものとして発見されたというのはまったく驚くべきことではある。

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