熊本地震2年 被災者に寄り添う復興へ

 

 

熊本市の新聞博物館で始まった特別報道企画展「熊本地震 それぞれの2年」=12日

 

熊本、大分両県をはじめ九州全域を襲った熊本地震の発生から、あすで2年となる。

被災した熊本城(熊本市)ではようやく最上階の瓦ぶきが終わり、新たなしゃちほこの設置が始まった。阿蘇神社(熊本県阿蘇市)でも楼門の復旧作業が進む。

目に見える地域のシンボルが復旧することで、被災者は元気づけられることだろう。文化財にとどまらず、失われたものを確実に元の姿に戻していきたい。

熊本県は一昨年8月の復旧・復興プランで「おおむね4年後のほぼ完全な復興」を打ち出した。それに照らせば、早くも折り返し地点を迎えることになる。

とはいえ現実は厳しい。今なお3万8千人余が仮設住宅などで避難生活を強いられている。各自治体は人手不足や財政難に苦しむ。

九州は昨年7月、福岡、大分両県で記録的豪雨に見舞われた。大分県中津市耶馬渓町では一昨日、大規模な山崩れが起き、行方不明者の懸命な救助活動が続く。

どの被災地も復興への道は険しい。度重なる災害の経験と教訓を生かし、今こそ九州の力を結集して故郷の再生を目指したい。

2016年4月14日夜、マグニチュード(M)6・5の前震が起きた。同16日未明にはM7・3の本震に見舞われた。いずれも最大震度7を観測した。

熊本県益城町の中心部には今、更地が広がっている。地震で倒壊したおびただしい数の家屋が撤去された後の光景だ。

 ●厳しい現実直視して

町民の多くが避難生活を送った町総合体育館も、被災建物として解体された。2年という時の流れを感じさせる。一方、地震で波打つように隆起した周辺道路の傷痕は生々しく残ったままだ。

熊本県は先月、熊本地震の検証報告書をまとめた。なぜ復旧・復興は思うように進まないのか。考える手掛かりもそこにある。

災害の規模が甚大だったことは言うまでもない。熊本県内の全半壊家屋は4万3千棟余で、道路や河川、公共施設の倒壊などで総被害額は3兆7千億円を超えた。

その復旧・復興に向け、足かせとなっているのが行政手続きの煩雑さだ。生活再建の基礎となる罹災(りさい)証明書の発行でも、厳密な家屋の被害調査が求められる。多大な手間と時間を要し、二重調査などで住民を混乱させた例もあった。

災害救助法は行政に対し、住宅から学用品の供与まで、被災者の救助を義務付けている。だが、制度や手続きに振り回されては本末転倒だ。過度の前例踏襲など硬直した姿勢ではなく、手続きを簡素化していくことが必要だろう。

避難生活が長期化する中で、心身両面に負担のかかる被災者のケアはこれまで以上に重要になる。

熊本地震で災害関連死と認定された人は既に200人を超す。直接死の50人を大きく上回っている。孤独死などを防止するために、被災者の実情や要望に寄り添うきめ細かな対策を急ぎたい。

熊本県が掲げるスローガンは「創造的復興」だ。単に「元へ戻す」のではなく、被災前よりも発展した故郷の再生を目指す。阪神大震災を経て東日本大震災でも掲げられた理念だ。それは、被災者の厳しい現実に向き合うことなしには成り立たない。

 ●「伝承」で次に備えを

被災から3年目に入り、より重要になるのは、教訓を全国に広く伝えていくことである。いつ、どこで起きるか分からない次の災害への大きな備えになるからだ。

熊本市の大西一史市長は前震の直後、新潟県長岡市から新潟中越地震についてまとめた本を贈られた。それを読むことで「次に何が起きるかを具体的に予測できるようになった」という。

実は熊本地方では1889(明治22)年にM6・3の地震が起きていた。死者20人を数え、熊本城も一部崩壊していたという。

史実は残念ながら教育の場を含めてうまく伝承されなかった。2年前まで熊本では「大地震は起きない」と多くの人が思い込んでいた。災害対策基本法は「教訓の伝承」を地域住民の責務としている。同じ轍(てつ)を踏んではならない。

熊本地震や九州豪雨の現場には医療、消防、行政関係者やボランティアなどがいち早く駆けつけた。惨禍の中で生まれた絆をさらに広げ、確かなものにしたい。

近い将来にはM9クラスの南海トラフ巨大地震の発生も予想される。大津波対策をはじめ県境を越えた防災・減災対策は喫緊の課題である。九州の総力で被災地の復興を目指すとともに、「災害に強い九州」を築いていきたい。

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