日本人メジャーリーガーの活躍、野茂の残した足跡なしには語れない

米国で“トルネード”のニックネームがついた野茂の豪快なピッチングフォーム

今年のメジャーは3月のイチロー外野手の現役引退発表で始まった。日本では令和を迎えた5月に入り、エンゼルス・大谷翔平投手(24)が右肘手術から復帰。6試合目の5月13日ツインズ戦で1号アーチを放ってより盛り上がってきた。新時代の日本人メジャーリーガーの活躍は、野茂英雄投手が平成に残した足跡なしには語れない。1年目の1995年、米国で取材したヒルマニアこと蛭間豊章記者が、当時を振り返る。

あれは米フロリダ州ベロビーチのドジャータウン(キャンプ地)に着いて初めての朝だった。1995年3月23日。8時過ぎにグラウンドに到着すると、一人で走っている男がいた。野茂だった。当時はメジャー選手会のストライキの真っただ中。キャンプ地にメジャー選手は一人もいない。マイナー選手ばかりの中、前年、近鉄で肩を痛めていた右腕が黙々と走っていた。このランニングは、シーズンに入って他の投手も励行。本拠地ドジャー・スタジアムでほとんどの投手が、試合前の誰もいないスタンドを走る姿へと結びついた。

 3月の野茂は3Aアルバカーキ所属だったが、首脳陣は実戦登板は無理と判断。4月上旬の開幕時の合流を見送り、ベロビーチに居残りさせた。結果的にこれが功を奏した。

 ストライキは3月31日に解決したものの、4月2日に予定されていた開幕が同26日とずれ込んだことで、長い調整が実を結び体が絞れたという。メジャーのオープン戦は3試合で防御率0・82の好成績。ローテーションをつかみ、マイナー契約もメジャー契約に結び直した。4月27日、1Aベーカーズフィールドの一員としての調整登板を経て、5月2日ジャイアンツ戦のメジャーデビューを迎えた。

 デビュー戦は5回を1安打無失点だったが、勝ち星はつかず。5月17日パイレーツ戦では7回を2安打14奪三振で無失点に抑えながら、救援陣が打たれ、1勝が遠かった。それでも、7試合目のメッツ戦で初めて9回途中まで投げ、初白星をつかんだ。

 その後は米国にトルネード旋風が吹き荒れる。初勝利から6戦連続で勝ち星を積み重ねた。6月24日ジャイアンツ戦、29日ロッキーズ戦では、その後の日本人メジャーが誰もやっていない2試合連続完封。6月は6勝で月間MVPを受賞した。

 その後、防御率1位のグレッグ・マダックス(ブレーブス)が負傷でオールスター戦出場を回避したため、野茂が新人としては史上4人目の先発投手に抜てきされた。朝から日本中のファンが衛星中継の映像を見守る中、2イニングを1安打無失点とハイレベルなピッチングを披露した。

 大舞台の試合前セレモニーには多くの子供たちが並んだ。グラウンドにいた野茂は、その子供たちとハイタッチ。日本で見ながら、最も感動したシーンだった。

 後半戦、7月25日アストロズ戦で敗れ連勝は7でストップしたが、8月5日ジャイアンツ戦で1安打完封。続く10日の登板が、メジャーで19年ぶり(その後なし)の没収試合となる。

 試合前、ドジャー・スタジアム外野席の入場口付近で開門を待っていたのがメキシコ人親子。その父親は「私が少年時代、父が(1980年にデビューして旋風を巻き起こした母国出身の)バレンズエラを見せてくれた。だから、自分も、異国から来たヒーローのノモを子供たちに見せたいんだ」と言った。カージナルス戦で野茂が勝てば、そのコメントを使おうと思っていた。

 だが、1―2でリードされた9回裏。審判団の判定を不服として、当日ファン全員に配られたボールの多くがグラウンドに投げ込まれ、審判団はまさかの没収試合を宣告した。メキシコ人のコメントが紙面に載ることはなかった。

結局、8月に取材した4登板は1勝3敗。フィラデルフィアで帰国のあいさつに行った際、「取材お疲れさまでした。ありがとうございました」と笑顔を返してくれたのも、印象深かった。

 この年、13勝を挙げ奪三振王にも輝き、西地区優勝に導いた野茂は、チッパー・ジョーンズ三塁手(ブレーブス)とのマッチレースに勝って日本人初の新人王を受賞した。日本だけでなくロサンゼルスのヒーローになった。「3年好成績を続けて一人前」と、野球関係者がこぞって言う最初の3年間、ローテーションを守ったことが、その後の日本人メジャーの道筋を付けたことは間違いない。

 メジャーデスクとしてノーヒッター2度、日米200勝、現役引退などトルネード右腕の記事を書き続けた。最後までメジャーでのカムバックを求めて、別表のようにマイナーリーグや、ベネズエラのウィンターリーグにも足を延ばして現役を貫く姿を読者に伝えた。関係者の庇護(ひご)で現役最後を締めくくったイチローとは対照的に、男のドラマを感じさせた。野茂こそが平成の日本プロ野球を変えた男だと、最大の評価をしたい。(スポーツ報知、ベースボール・アナリスト)

 ◆第1号は村上雅則

 日本人メジャー第1号は、1964年に南海から留学生として渡米した村上雅則(2年間で5勝1敗9セーブ)で野茂は第2号。今年のマリナーズ・菊池雄星まで、メジャーデビューした日本人選手は投手が44人(大谷は投手でカウント)、野手は14人の計58人。うち、アマチュアからはマック鈴木、多田野数人、田沢純一の3投手だけ。ちなみに、日本人投手の勝利、完投、完封勝利、投球回、奪三振などの通算最多記録は野茂が保持。他の投手を大きく引き離している。

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